遊び印第13集より


岩室甚句

 新潟方面に旅に出た。佐渡島と岩室温泉をたずねた。岩室温泉と言えば岩室甚句のふる里。独身の頃、日本民謡に狂っていたころがあった。寝てもさめても日本民謡三昧の生活だ。そのころ好きだった歌の一つに岩室甚句がある。その旋律を聞く度に、まだ見ぬ風景が浮かび一度は訪ねたいと思っていた。いい機会だ。佐渡島から回ってJR越後線で岩室駅に着いたのは夕方だった。憧れの地に降り立ったのだ。思ったより静かな町でお店も少なく、昔からの街道の後も残っていて甚句が流れるような雰囲気だ。

 新潟の書家から紹介された宿「小松屋」は旅籠と言う名にぴったりのところで、女将さんの応対も気持ちよく、お部屋も食事もうれしかった。夕食も終わって何げなく玄関を通った時、岩室甚句のポスターを見つけた。「岩室甚句日本一全国大会」。そんな企画があるのがうらやましい。よく玄関などにポスターが貼ってあるが、古いのが多い。「そうだなぁ地元で甚句の本物が聞けたらなあ」と思いながら日時を見たら、偶然にも大会は明日の10時からだ!これはついている。がぜんこの旅が楽しくなり、その夜は思わぬ興奮で寝つきが悪かった。

 朝、旅の予定を変更して宿から歩いて10分ほどの村民体育館へ急いだ。門を入ると続々と人が集まってくる。予選を勝ち抜いた県内外の七十人が決勝大会に出場するのだ。館内のあちこちの部屋から練習の声が聞こえてくる。なつかしい本場の岩室甚句だ。会場には舞台が作られ、青いビニールシートが敷かれ、もう沢山の人が座っている。地元のテレビ局のカメラも見える。もちろん「岩室甚句大会」だから歌は一曲だけ。三味線、尺八、鐘、太鼓とお囃子もそろって私の方がドキドキ。大会長の挨拶などが終わり、男女つぎつぎに歌が始まる。
 《おらが若いとき 弥彦参りをしたればな、なじょが見つけて 寄りなれと 言うたれどカカが居たれば 返事がならぬ》
 近郷の農民たちが盆踊りに唄う「越後甚句」の一種で、素朴な温泉場の唄らしい野暮さがいい。一曲ごとにリズムに載って体も揺れてくる。次の人、次の人。また次の人…と同じ歌が続く。それぞれに十人十色でこれがたまらない。

 同行の妻は、初めはもの珍しさに聞いていたが3曲目からあくびをはじめた。「また同じ歌?歌詞も節も覚えたわ。」と興味がない所に入り込んだという不満が動作から伝わってくる。
 しばらくすると、妻がまた耳もとで囁く「せっかく旅に来たのに、こんな同じ曲を何度も聞きに来たのではありません」という。
一時間も過ぎると「早くどこかへ行きましょう」と言う。
 あまり何回も言うので曲を聞くどころでなく、一時間半でしぶしぶ座を立つことにした。興味のない者にとって夕方まで同じ歌を聞くのは耐えられなかったのだろう。それも分かるが、私には願ってもない機会だったのに…。
 旅の良さは、こうした目的のない意外な出会いや、思わぬことが起こっても、そこに身をゆだねる所に楽しさがあるものだ。やはり旅は、興味や思考が同じ人に限ると思った。

 しかし、妻は今も岩室甚句が歌えるだろうか。