遊び印第10集より


エディ君のゴジラの印

 96年11月初めに神戸ポートアイランドで薬害エイズの国際会議が開かれました。様々な国から被害者・医師等が来日した中で、13歳のエイズ患者エディ君と母親が居りました。
 いたいけな少年であったことから、関空に着いたときからマスコミに囲まれテレビや新聞でたびたび報道されたのです。専門的な会議の中でじっとしているだけでも大変な年齢なのにここぞという場面では壇上に引っ張り出され、閉会式では宣言文を朗読するという大役も果たしたのです。
 関係者はがんばった彼のために何かしてやれることはないかとあれこれ考え、ゴジラが大好きということで、ゴジラ映画の大森一樹監督との対面の機会を計画したのです。この話は急なことだったので、大森監督もプレゼントを用意することもできず、ご子息を説得して彼の宝物(本物そっくりのゴジラの置物)を、エディ君にプレゼントしました。
 同席したエディ君のお母さんは、「そんなことをしたら坊やが焼きもちを焼かないか」と心配されると、大森監督は「私の息子はナイスガイだから大丈夫」と言ったそうです。
 会議でも活躍されたやさしいお母さんへその関係者の一人Mさんは、遊び印を日本訪問の記念に贈ることにしたのです。名前を公表したエディ君と二人三脚の日々、そしてエイズという不条理なものをやっつける象徴ゴジラ、エディ君の大好きなゴジラ、そんな印を彫ることになりました。母マリア・ハナファント(M)、息子エディ・ハナファント(E)、二人の名前を入れた印。

 その注文の手紙をもらったとき、私は季節がら別の印彫りに忙しい日々を送っていました。本来出来上がるのは注文されて一カ月後なのですが、Mさんからの手紙の最後に、「他の方の順番をとばして大至急ということはありませんが、彼らの日本での思い出が薄れないうちに…、又とても限られた生を生きていますので元気なうちに贈れたら幸いです」と結んでありました。
 私は感激で胸がつまり、「べらぼうめ、こちとら江戸っ子だァ、今、この場で彫ってみせやしょう!」という気分で、その夜、ゴジラ印を彫ったのでした。